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UOEH(産業医科大学雑誌)37( 2 ): 157-165(2015)
157
[報 告]
仮想病棟の体験を利用した看護教育 辻 慶子1*,松本 真希2,鷹居 樹八子1,児玉 裕美1,萩原 智子1,岩田 直美3 1
産業医科大学 産業保健学部 看護学科 基礎看護学
2
北海道文教大学 人間科学部 看護学科
3
北海道医療大学 大学院看護福祉学研究科
要 旨: 快適な入院生活を過ごすとともに安全で確実な医療行為を行うには,医療施設の環境デザインの適 切さが求められる.基礎看護学の単元「環境」の授業では,医療施設,とくに病棟のイメージがつかないまま環境の 学習をする看護学生が多く,その理解が不十分で患者の援助に繋がらないことが多く見受けられる. 建築用コン ピュータソフト(ウインドウズ 8)上で動作する「3D マイホームデザイナー Pro 8」を利用し,医療施設において患者に 最適な療養環境としての環境デザイン学習の可能性を検討するために,平面図上の医療施設を作り 3D 画像に変換 した後,コンピュータの画面上で病棟内を疑似歩行体験できる仮想病棟動画を作成した.動画は,a) 「病室」の壁の 色彩を変化させたもの,b) 「病棟配置」はナースステーションの位置と病室の配置の違い,c) 「視力の低下を体験で きる外来」では白内障による視力低下で視界がぼやけてみえる外来の 3 種類からなる. 対照群は静止画群を動画と 同様に(a, b, c)の 3 種類作成した.c)の静止画については説明書付きとした. 作成した動画と静止画について看護 学生と看護師にアンケート調査を行った.その結果,a)の動画・静止画において両者の視聴後の感想に差はみられ なかった.また b)の動画は,看護学生と看護師の記述内容に違いがみられなかった.c)の動画は,看護学生・看護師 とも患者の視点での記述が多かった.臨床経験のない看護学生は動画により病棟内を歩く疑似体験を通じて,視覚 的・体験的に病棟の環境を理解できたと考える.また,看護教育において仮想病棟動画の活用は疑似体験ができるこ とで, 学生の準備状況に合わせた教育プログラムの作成が可能であることが推察できた. キーワード:仮想病棟,療養環境,看護教育. (2014 年 11 月 19 日 受付,2015 年 5 月 11 日 受理)
は じ め に
[2] .基礎看護学において,環境に関する主な文献は川 口のベッドまわりの環境学 (1998 年)があげられる程
フローレンス・ナイチンゲールはその主著「看護覚え
度である[3] .さらに本研究に関する先行研究は,医学
書」の中で看護技術の基本を述べている[1]. その中
中央雑誌を用いて 2010~2014 年のキーワード検索を
には 「換気と暖房」, 「住居の健康」, 「環境の変化」, 「ベッ
行った結果, 「環境とバーチャル」に関する文献は 1 件
ドと寝具」, 「陽光」, 「部屋と壁の清潔」といった,患者の
で,その内容は看護師の再教育に関することであった.
身体に直接かかわる知識と共に,患者の環境もまた疾
「療養環境とバーチャル」に関する文献は 0 件, 「バー
病の治癒に重要な役割をなしていることを強調してい
チャルと看護」は 15 件で看護学生や看護師が患者役を
る. 振り返って看護教育の現状をみると,看護技術を
体験する研究であった.Diana Halfer は,仮想病棟で
取り上げても,看護を受ける場所,たとえば病院や病
ナース教育を行うことの効果を述べている[4] . 医学
室に関する教育はないがしろにされている傾向にある
教育では野呂(1996)が「バーチャルリアリティの医学
* 対応著者: 辻 慶子,産業医科大学 産業保健学部 基礎看護学,〒 807-8555 北九州市八幡西区医生が丘 1-1,Tel: 093-691-7586, Fax: 093-691-8243,E-mail:
[email protected] 辻 慶 子,他
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教育への応用」において,医学への応用でとくに外科手
記入する質問紙を配布後,質問紙の説明を行った. ②
術教育において術者の立場からの手技教育に活用でき
画像を見ながら感想を記入する質問紙の回答を得た.
ることを述べている[5]. 看護教育においても実践の
③画像閲覧時間は 1 画像に付き 4 分とした.
場である臨床を体験的に理解するために「仮想的な動
分析方法は,記入された回答を分節化し,1)分節化し
画」を取り入れていくことで学習内容の充実が図れる
た数の算定, 2)分節を役割の視点と環境の授業のキー
と考える. さらに看護学生と教師,看護学生間が同じ
ワードの視点でコーディング, 3)コーディングした分
仮想空間の中で様々な討議ができ環境に対する思考力
節をカテゴリー化した. 役割の視点は,1) (P)患者視
を培うことが出来ると考える. そこで,仮想病棟をコ
点での分節,2) (N)医療者視点での分節,3) (P/N)抽象
ンピュータの画面上で体験できる動画を作成し,調査
的な(患者視点での文節と医療者視点での分節のどち
した結果, 「病棟配置」や「視力の低下を体験できる外
らとも取れる)分節の 3 分類とした. さらに単元 「環
来」では仮想的な動画が教育に効果的であるという結
境」のキーワード(安全・自立・快適性・対人環境・物理的
果を得た [6].
環境・構造・管理・病状・その他)による分析を行った.
今後,看護教育における仮想病棟動画の応用は,情報
分析は,2 群間(動画・静止画)の関係については単回
量を増やすためだけでなく「環境を考える視点が変化
帰分析,2 群間の差の検定には対応のない t 検定,3 群間
する」ことを含め,教育場面への活用の有効性が示唆さ
(P・N・P/N)の差の検定には一元配置分散分析と多重比
れたので報告する.
較を行った. 以上の研究は研究対象者の施設で倫理規定に添った
対象と研究方法
倫理委員会の承認を得た.
調査に用いる資料として医療施設に関連する動画 (マ と静止画は,次のように作成した.ウインドウズ 8 イクロソフト社)上で動作する『3D マイホームデザイ ナーPro 8(メガソフト社製)』を用い,平面図上で医療 施設を作り 3D 画像に変換した後,コンピュータの画面 上で体験できる動画を作成した(Fig. 1). 本研究で提示した動画は, 「病室」, 「病棟配置」 「視力 , の低下を体験できる外来」の 3 種類からなる. 動画の 視聴者が病棟内を歩いたり,実際にその場にいるとい う疑似体験ができるようになっている. 一方,対照群 として,静止画で「病室」, 「病棟配置」を作成し, 「病棟配 置」では,ナースステーションの位置を説明した. 「視 力の低下を体験できる外来」では視力の程度を口頭で 説明するのみとした. 静止画の 「病室」, 「病棟配置」は
Fig. 1. 作成した仮想病室動画の一病室画面.
鳥瞰図であり, 「視力の低下を体験できる外来」につい ては, イメージしてもらうこととした. 研究対象者は, 「仮想病棟教材開発」の研究に同意の 得られた A 看護学校 1 年生 36 名(動画 17 名,静止画 19 名) ・B 市内の看護師 25 名(動画 12 名,静止画 13 名),調 査期間は, 2014 年 7 月~8 月であった. 調査方法とし
Table 1. 仮想病棟教材開発の研究対象者である看護学生 と看護師の内訳 性 別
看護学生 n = 36
て,データ取得は,以下の手順で行った.1)研究内容,
看護師 n = 25
動 画
静止画
動 画
静止画
女 性
15
14
12
13
静止画群の 2 グループに分け(Table1),それぞれ別室
男 性
2
5
0
0
で調査を行った.3)以下の手順は 2 部屋とも同じであ
計
17
19
12
13
趣旨,方法,倫理的配慮,調査日時を書面と口頭で説明 し,回答のあった看護学生 36 名と看護師 25 名を同意と みなした.2)看護学生 36 名・看護師 25 名とも動画群・
る.①基本属性(性別,年代)と各動画・静止画の感想を
仮想病棟の体験を利用した看護教育
結 果
159
②静止画: 抽象的な記述が 73.9% と多く,医療者の 視点は 10.5% で,患者の視点は 15.8% であった.
1. 回答総数 1) 看護学生は, 「病室」では看護学生 1人の平均は動画 8.12 ±2.00,静止画 9.26± 2.45 であった. 「病棟配置」に
2) 「病棟配置」 (1)看護学生の回答
おいては, 1 人の平均は動画 5.12 ± 1.87,静止画 5.58±
①動画:Fig. 3 に示すように,抽象的な記述はなく,
1.95 であった. 「視力の低下を体験できる外来」では 1人
医療者の視点は 70.5%,患者の視点は 29.5% で
の平均は動画 2.94± 1.60, 静止画 4.72± 1.78 であった.
あった.動画にすることで医療者の視点での表現 が静止画より有意に多くなった(P < 0.01) .
2)看護師は, 「病室」では 1 人の回答数の平均は動画
②静止画:抽象的な記述は 14.9%,医療者の視点は
13.17 ± 5.01(平均値± SD),静止画 11.46 ± 2.96 であっ
42.6% で,患者の視点は 42.6% であった. 抽象
た. 「病棟配置」においては 1 人の平均は動画 7.75 ±
的視点の記述は,静止画が有意に多かった (P