日衛誌 (Jpn. J. Hyg.),70,205–210(2015) © 日本衛生学会





学会賞受賞論文

フィールド調査から学ぶもの 吉

清 *1,2

村 健

*1 公立大学法人福岡女子大学国際文理学部食・健康学科 * 前 学校法人産業医科大学産業生態科学研究所臨床疫学教室 2

Lessons from Field Studies Takesumi YOSHIMURA*1,2 *1Fukuoka Women’s University * Past affiliation: Department of Clinical Epidemiology, Institute of Industrial Ecological Sciences, University of Occupational and Environmental Health, Japan 2

Abstract During my academic career for more than 40 years, I was involved in 18 epidemiological field studies, partially or fully. Among these field studies, four (1. Medical services in remote rural areas in Okinawa, 2. Yusho episode, 3. JICA Onchocerciasis Control Project in Guatemala, and 4. Miyako cohort study in Fukuoka) are introduced in this paper, including the latest situation after the presentation. Through these field works experienced by the author, the following lessons were gained. 1. Strong human reliance between researchers and the targeted population is essential in carrying out epidemiological surveys successfully in the field. 2. Data obtained from the survey should be carefully examined and analyzed so that those data may reflect the real situation. Key words: field study(フィールドスタディ),medical services in remote rural areas in Okinawa(沖縄の 僻地診療),Yusho episode(油症事件),Onchocerciasis Control Project(オンコセルカ症プロジェ クト),Miyako cohort study(京都スタディ)

はじめに ここに会員諸氏また衛生学会雑誌編集に携わった方々 に投稿が遅れたことをお詫び申し上げ,日本衛生学会賞 の講演内容を記し,責を果たさせていただく。 私が歴史ある日本衛生学会賞の栄誉にあずかったの は,私を育ててくれた恩師倉恒匡徳先生はじめ私の所属 した教室の関係者とともに衛生学会で共に活動してきた 多くの方々のおかげと深く感謝申し上げたい。 受賞講演では「フィールド調査から学ぶもの」という 受付 2015 年 3 月 24 日,受理 2015 年 3 月 31 日 Reprint requests to: Takesumi YOSHIMURA Fukuoka Women’s University, 1-1-1 Kasumigaoka, Higashi-ku, Fukuoka 813-8529, Japan FAX: +81(92)661-2420 E-mail: [email protected]

演題で,私の疫学巡礼の旅の一端を述べた。私がこれま で手を染めた疫学研究は表 1 に示した通りである。本稿 では講演で話した 4 つの事例について紹介し,講演後の 動向について若干追加した。

1.沖縄の診療・調査活動 まだ医学生であった 1964 年,当時寄生虫学教室の先 生方の熱帯への情熱に刺激され,学生主体の「熱帯医学 研究会」を設立した。この学生の会で,「沖縄学術調査 診療団」を 1966 年から 1984 年まで,毎夏八重山群島, 宮古群島に派遣した。地元の住民や医療関係者が診療団 に望むことは表 2,表 3 に述べたが,派遣側の私共が考 えている欠点も見えてきた(表 4)。そこで,診療団の 役割を治療主体の診療団から予防主体の診療団に変える 努力がなされた(表 5)。診療団の活動とともに学術調

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日衛誌 (Jpn. J. Hyg.) 第 70 巻 第 3 号 2015 年 9 月 表 6 まとめ

表 1 私の疫学巡礼 1.沖縄の僻地医療(フィラリア) 2.油症(PCB 中毒)の原因究明 3.SMON とキノホルム 4.土呂久事件(環境中砒素汚染) 5.がん登録事業 6.胃がんの疫学(日本・中米) 7.オンコセルカ症対策(Guatemala 等) 8.木工家具と副鼻腔癌 9.福岡県京都スタディ(住民コホート) 10.放射線疫学(放影研,放影協,IARC) 11.EMF と小児白血病 12.MCS,SHS の疫学 13.飲料水ヒ素汚染の疫学研究(中国 内モンゴル) 14.台湾ダイオキシン環境汚染 15.地衛研 疫学機能強化 16.新型インフルエンザと検疫 17.大気中微小粒子状物質の健康影響 18.住環境の健康影響

・ チームワークの重要性 ・ 活動の可否は相手側に決定権 ・ 医療側と住民側との間で健康に関する認識に温度差 ・ 調査実施の具体的準備 ・ 住民への面接調査技法 表 7 油症事件発生時(1968 年) ・ 2 月:ダーク油事件(ブロイラー数万羽が斃死) ・ 6 月 7 日:最初の患者(3 歳女児)が大学病院に受診 ・ 10 月 3 日:大牟田保健所に油症患者が届出 ・ 10 月 10 日:新聞・テレビが油症事件を報道 ・ 10 月 14 日:油症研究班発足(臨床部会,疫学部会, 分析専門部会) ・ 11 月 4 日:原因物質はカネクロールと公表 表 8 油症疫学調査計画 1. 記述疫学(福岡県 325 名の認定患者)  油症患者の分布  油症患者の K 油使用状況 2. 分析疫学―症例対照研究  疑わしい要因の検討 3. 分析疫学―コホート研究(K 油使用者)  特定 K 油使用者の追跡  一般 K 油使用者の追跡 4. 個人汚染油摂取量調査(K 缶入油使用者 146 名)

表 2 僻地診療から学んだこと(1) 住民の要望 1.診療団の活動には感謝 2.住民全員が診療を熱望しているわけではない。 生業が第一 3.困っている健康問題は解決して欲しい 4.保健医療スタッフの永住を望む 表 3 僻地診療から学んだこと(2)

医地区診療の課題を学び得たことは,大きな成果であっ た(表 6) 。さらには疫学の原点というべきフィールド ワークの基本的な技術を習得する場となったことは忘れ えない。 〈講演後の動き〉 2015 年 1 月に「熱帯医学研究会設立 50 周年」の記念 の会を学生が中心となって開催し,当時の活動に参加し ていただいた諸先生ならびに会員の出席を得た。最近の 学生活動は熱帯医学から,各国の医療制度,災害などに 向けた社会医学的なアプローチが多く,興味の範囲が多 彩になってきており,これから社会医学の方面へ眼を向 ける学生のこれからの活躍が期待される。

現地医療関係者の要望 1.住民サービスは不可能なので診療団活動にはあまり 関心なし 2.現地主治医と住民との信頼関係を破壊する恐れ 3.診療団活動の After Care 不十分(やりっぱなし) 4.最新医学講演会希望 表 4 僻地診療から学んだこと(3) 診療団の欠陥 1.短期間活動になる 2.検査・診療体制の不備 3.真の目的は?(興味,慈善,体験,研究 etc) 4.おもいあがり 表 5 僻地診療団の役割

2.油   症

1.治療から予防へ 2.現地保健医療スタッフとの連携 3.住民を知り,地域を知り,そして住民の知恵をもら おう

査も並行して実施されていた。沖縄の乳児死亡率の異常 な低さは当時の沖縄での出生届・死亡届が十分でなかっ たことが,私自身が実施した八重山での各戸訪問調査と 役場の調査から判明した (1)。また,小児科の先生方の 研究で先天性風疹症候群の疫学的研究 (2) に参加したこ と,日本脳炎抗体価がマラリアの撲滅と関係があること など,当時同行していただいた先輩医師と共に学術的価 値が高い研究にも参画することができた。この活動で無

1)油症の疫学的原因究明 1968 年 10 月に「正体不明の奇病続出」という新聞の 見出しに端を発した油症事件は,原因不明のため,社会 に大きな不安を与えた(表 7)。そこで,「九州大学油症 研究班」が設置され,臨床部会,分析専門部会とともに 疫学部会がおかれ,恩師倉恒教授が部会長として調査指 揮をとられた。当時大学院生であった私は当時の教室員 と共に毎朝,新聞情報,現場の情報を集めて,現場の調 査にあたったが,基本は疫学的手法にのっとり単々と調 査をすすめることであった(表 8)。まず,記述疫学で 油症患者発生の実態を調査した。患者発生の情況(表 9) から,仮説をたて,その仮説の検証を分析疫学的手法に

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日衛誌 (Jpn. J. Hyg.) 第 70 巻 第 3 号 2015 年 9 月 表 11 経母乳油症児を探す条件

表 9 記述疫学的研究結果

1.母親は,妊娠中に汚染油を摂取していないこと 2.母親は,当該児の哺乳期間中に汚染油を摂取してい ること 3.当該乳児は,一定期間,母乳のみで哺育されている こと

・ 夏期にピーク ・ 北部九州地域に多発 ・ 性・年齢別の発症に差なし ・ 家族集積性あり 表 10 分析疫学的研究結果

表 12 調査方法

1. 症例対照研究  特定の米糠油摂取のみが油症発生との関連示唆 2. コホート研究 ・2 月上旬の K 米糠油摂取者は 70% 発生 ・2 月上旬以外の K 米糠油摂取者は 発生なし 3. 量反応関係  摂取量は重症度に関連

のっとって調査をすすめた(表 10)。最初は,症例対照 研究。そして,コホート研究とすすみ,その結果,「油 症は 1968 年 2 月上・中旬に製造された K 社ライスオイ ルの摂取が原因である」と結論した (3–6)。一方,分析 部会から PCB の混入が示唆されたため,当時収去され た K 社製造食用油を製造月別に PCB(検体数が多かっ たため実際は蛍光 X 線分析により塩素量しか測定でき なかったが)を分析した結果,疫学的知見と分析の結果 が見事に合致し,油症は PCB の食用油への汚染が原因 であるとされた。 2)経母乳油症児の可能性 また,当時は油症事件とは別に PCB の母乳汚染が社 会的に問題となり,母乳を乳児に与えてよいか否かが議 論となっていた。そこで,もし,PCB が母乳から乳児 に入って,なんらかの障害をきたすとすれば,高濃度曝 露をしたと考えられる油症事件の事例で,発生するので はないかと考え,油症の母親から生まれた乳幼児の調査 を考えた。当時すでに油症の母親から産まれた児は新 生児油症(通称,黒い赤ちゃん,英語で Cola-Colored Baby)として知られていたが,これらの児は妊娠中に 母親が PCB を摂取しているため,胎盤を通して PCB が 新生児に移行し,母乳経由のものではない。そこで,事 例当初,私自身が「黒い赤ちゃん」の調査した記録をも とに,五島玉の浦地区で生まれた「黒い赤ちゃん」の中 に妊娠中には PCB 汚染油は摂取せず,出産後に PCB 汚 染油を摂取して,新生児に母乳を与えた例を検討するこ ととした(表 11)。調査は私一人で 1972 年に済ませてあっ たので,今回は,当時の調査記録を検証すればよいこと になる(表 12)。その結果,調査対象の期間内の出生児 数は 27 例であった。そのうち 5 例は経口摂取の可能性 があり,また母親の摂取がないなど,経母乳だけでない 症例であったので,この 5 例を除いて,22 例について, 検討することとした(表 13)。この結果,表 14 に示し たように 7 例が汚染油を哺乳中に摂取した母児であるこ とが判明した。そこで 7 例について,各母児の汚染油摂 取時期と,児の母乳授乳時期との関係を調査した。その

調査対象:長崎県 T 地区油症患者家族 108 世帯から, 1967 年 1 月より 1972 年 4 月までに生まれた 子供とその母親 調査方法:面接調査 調査時期:1972 年 5 月 調査項目:母 親: 1.出産時年齢 2.油症重症度 3.汚染油摂取時期・期間・摂取量 出生児: 1.性,生年月日,在胎週数,出生 時体重,油症重症度 2.授乳方法 3.生下時所見 4.調査時所見 表 13 調査結果 期間内全出生児数:27 例のうち下記 5 例は除外        2 例:1967 年 2 月,3 月出生児          (経口摂取の可能性あり)        1 例:母親汚染油摂取せず(町外)        2 例:調査時転出のため調査せず 以下,22 例について詳細に検討 表 14 調査結果 ・ 汚染油を妊娠中に摂取した母親からの出生児 ― 4 例(2) ・ 汚染油を哺乳中に摂取した母親の児 ― 7 例(2) ・ 汚染油摂取期間以後に妊娠,出生した児 ― 11 例(1) 22 例(5) ( )内は調査時までに油症検討結果,油症と認定されている 例数。ただし,13 例は調査時まで,受診記録なし。

結果,「経母乳油症児と考えられる症例が 7 例中少なく とも 1 例(他 1 例は経胎盤汚染を否定できない)観察さ れたことから,汚染油摂取時期以後に妊娠,出産した母 親から,経母乳油症児が発生した可能性がある」ことが 示唆された (7)。これら油症事件を通して学んだことは, 1.学際的協力の重要性,2.現場を見ること(当事者か らの直接情報収集),3.データ検証の重要性,4.デー タは真実の一端を語っている,ことであった。 〈油症その後〉 油症事件が発生して 45 年が経過した。油症事件では 学際的協力により,原因究明と原因物質への食品衛生法 上の対応は比較的早期に実施されたが,油症患者の治療 は困難を極めている (8, 9)。また,油症の診断基準も PCB,ダイオキシン研究の進歩にともない,改訂された (8–10)。さらに 2012 年には「カネミ油症患者に関する

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施策の総合的な推進に関する法律」により,当時油症患 者世帯に同居していたものも油症患者と認定することと な っ た (11–13)。 そ の た め, 油 症 認 定 患 者 は 増 加 し, 2015 年 1 月 31 日現在の認定患者は 2,277 名(うち,同 居家族認定患者 256 名)となっている。油症認定患者の 死因について,事件発生初期に油症患者に肝がん死亡が 多いことが示唆された (14)。その後の油症患者の追跡 調査で,男の SMR は全がん 1.37,肝がん 1.82,肺がん 1.75 と有意な上昇がみられたが,経年的には減少傾向が見ら れた (15)。追跡調査は現在も継続中である。

表 15 方法 対象地区:San Vicente Pacaya 地区 対象者数:男 のべ 4,003 名,女 のべ 4,581 名 調 査 年:1977–1988 調査方法:繰返し断面調査 皮膚生検法(2 ヶ所)で MFD 算出 解  析:性,年齢階級別,調査年別,地区別の MF 陽 性率を算出し,0–9 才の累積有病率を得た。 表 16 対象者 1.センサス(性,年齢別人口) 2.個人識別(氏名,性,生年月日,年齢) 3.個人照合

3.オンコセルカ症研究対策プロジェクト 1978 年 8 月から 1 年半,中米グアテマラで実施され ていたオンコセルカ症研究対策プロジェクトに疫学専門 家として現地に滞在し,調査に参加した。私の派遣目的 はオンコセルカ症撲滅対策の効果を疫学的に判定するこ とであった。オンコセルカ症(別名ロブレス病)はフィ ラリア症の一種で,River blindness(河川盲目症)と呼 ばれている。主として,アフリカと中南米に流行地があ り,オンコセルカ症に罹患しても生命の危険は少ないが, 前眼房や網膜に Onchocerca volvulus の虫体がはいり,失 明するため,日常生活労働に大きな支障をきたしている。 1815 年にグアテマラの Figueroa 博士によって初めて報 告された。 そこで,JICA のプロジェクトでグアテマラのオンコ セルカ症の撲滅に向けてのプロジェクトが発足したので ある。当時グアテマラ政府で実施されていた対策はブリ ガーダ(オンコセルカ腫瘤切除専門のチーム)が部落を まわり,感染者のオンコセルカ腫瘤(中に雌雄の成虫が 生存し,ミクロフィラリアを産出している)の除去であっ た。このミクロフィラリア(仔虫)が人の血液を介して, 全身,特に皮下に生存している。産卵のため血液を必要 とするブユ(ハエ目カ亜目ブユ科に属する昆虫の総称で あり,ヒトなどの哺乳類から吸血する)は血液とともに ミクロフィラリアを体内に取り込み,ミクロフィラリア はブユ体内で成長し感染仔虫となる。次にブユが吸血す る際に感染幼虫が人に注入され感染サイクルが成立して いる。 そこで,プロジェクトでとられた方法は従来のオンコ セルカ腫瘤の切除に加えて,媒介昆虫であるブユを撲滅 し,この感染サイクルを断つこととした。そこで昆虫の 研究チームと共に,ブユの撲滅を図った。もちろん飛ん でいるブユを殺すのは大変なため,水の中にいるブユの 幼虫(孵化の前)を殺虫剤で殺そうという計画である。 そのためには昆虫の専門家はグアテマラの研究所のカウ ンターパートとともに対象地区(10 km×10 km)の水 系をすべて調べあげ,どこに殺虫剤を設置するか検討を 重ねた。一方で,この地域にあった 5 つの部落の全住民 を対象に毎年オンコセルカ症の検診を実施し,部落別の 有病率,罹患率が減少するか否かを検討した。各部落の

人口調査を実施し,全住民を対象にオンコセルカ症の有 病率を経年的に検討するのである(表 15,16)。もちろ ん殺虫剤使用の前後の罹患率比較ができればよいのだ が,年度ごとの個人照合が困難(戸籍や住民票などはな い上に,氏名は 4 つ(姓 2,名 2)からなりその順番が 検診ごとに変化など)なため次善の策として,有病率の 低下を見ることとした。その結果,有病率の大幅な減少 が見られたが,この現象がブユのコントロールによるも のか自然減によるものかはわからないものの有病率の減 少があったのは確かである (16)。このプロジェクトで 問題点としてあげられたのは,1.オンコセルカ検診受 診率向上の対策,2.現地生活行動様式理解の知識不足, 3.グアテマラの基礎保健情報の不足,4.感染症疫学の 多面性,であった。これらの課題を通して,国際保健医 療協力をやるにあたって学んだ点は,1.現地住民およ び関係者との信頼関係の確立,2.意思疎通,3.異なる 価値観を認めることの 3 点であった。 〈プロジェクトその後〉 JICA オンコセルカ症研究対策プロジェクトは,1975 年から開始され,1983 年までのべ 80 数名の日本人研究 者が参加して実施された。私は,長期専門家としての在 任期間は 1 年半であったが,その後も短期専門家として プロジェクトに参加した。 オンコセルカ症の撲滅作戦は,大村智教授の研究によ り,イベルメクチンが開発され,現在オンコセルカ症の 治療薬として,世界中で使用されている。なお,途上国 のオンコセルカ症対策のために,製薬会社は無償でイベ ルメクチンを供与しており,オンコセルカ症対策は大き く転換した。 また,2015 年はロブレス病発見 100 周年にあたるこ とを記念して,九州大学寄生虫学教室多田功名誉教授の 多大な努力により,「オンコセルカ症発見 100 年記念: 日本の技術協力史」の出版が進められている。

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4.京都(みやこ)スタディ 産業医大臨床疫学教室では 1986 年以来,福岡県地域

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5.ま と め

表 17 京都スタディの限界 ・ 追跡情報は「死亡」であり,「病気の発生」ではない ・ 治癒率の高い疾病についての評価は困難 ・ 客観的指標の欠如  血圧,コレステロール値,身体活動度など ・ 小児保健,歯科保健,高齢者の QOL 問題の欠如

これまで数々のフィールド調査を実施してきた経験 から学んだことは,調査対象者と正面からむき合い, 信頼関係を築くこと,調査の目的を明確に話し,調査 対象者の積極的な協力を得ること,そして実態をあるが ままにとらえ,データに語らせることが重要であること を学んだ。

表 18 まとめ ・ 関係団体の持ち寄り調査 ・ お互いのサービス精神 ・ コホート維持への活動は不可避(継続は力なり) ・ 調査票から学ぶ

謝   辞 最後に,私を育てていただいた恩師倉恒匡徳名誉教授 ならびに九州大学,産業医科大学の教室の関係者に深謝 する。さらに,本学会賞の推薦をいただいた,大井玄先 生,二塚信先生,青山英康先生に感謝の意を表する。

表 19 フィールド調査 1.対象者との信頼関係を築く。 2.目的を明確に話す。 3.実態をあるがままにとらえる。情報に語らせる。 4.数値におぼれない。

利益相反なし

文   献 保健活動推進事業の一環として,福岡県京都保健所の活 動に参画してきた。そこで,「京都保健所管内の地区診 断を実施し,さらに,住民の健康実態調査,ライフスタ イルの調査を実施する」こととなった。そして, 「この 実態調査データを用いてコホート研究を行い,個々人の ライフスタイルとがん,心臓病,脳血管疾患等の生活習 慣病(当時は成人病)との関連を検討し,疾病予防に役 立てる」ことを目指した。 京都スタディの計画は,1986 年,1987 年にベースラ イン調査,さらに,1991 年と 1993 年に第 2 回目の調査 を実施し,その後の追跡調査を実施した。京都スタディ の追跡対象者は約 1 万 3 千人であり,2000 年までの死 亡者は約 1,800 名であった。1988 年にはこの研究の一部 は文科省の全国大規模コホート研究(青本教授 JACC ス タディ)に参加した。 京都スタディでは個々人について生活習慣と死因の情 報しかとれないため,限界がある(表 17)。住民を対象 とした場合に最も大事なことは,住民が担う調査の負担 と,得られる情報のバランスであることを実感した (表 18)。この調査は予算の制約もあり,関係団体の多 大な協力のもとに実施された。発表当時は,未だ,追跡 途中であり,結果の解析も十分ではなかったが,これら の調査を通して表 19 に示した通り,研究者と住民との 信頼関係の重要性を肌身で感じた。 〈京都スタディの現在〉 JACC スタディの一環として,実施してきたが,2004 年 4 月に筆者が異動したため,当時の研究者が追跡調査を 2005 年まで継続した。その間,これらの地区住民と交 流を深め,地区の行事への参加など行い,学術的な成果 だけでなく,フィールドでの疫学調査実施の教訓を得た。 なお,このコホートスタディから当時の研究者たちが 9 編の英文原著論文を発表してくれた。

( 1 ) 吉村健清.沖縄,八重山群島,黒島における乳児死亡 および,分娩状況について.九州大学熱帯医学部研究 会 第 3 回沖縄学術調査診療団報告書 1968;25–31. ( 2 ) Ueda K, Nishida Y, Oshima K, Yoshikawa H, Nonaka S. An explanation for the high incidence of congenital rubella syndrome in Ryukyu. Am J Epidemiol 1978;107:344–351. ( 3 ) 倉恒匡徳,森川幸雄,廣畑富雄,ら.油症の疫学的研 究.福岡医誌 1969;60:513–532. ( 4 ) Kuratsune M, Yoshimura T, Matsuzaka J, Yamaguchi A. Epidemiologic study on Yusho, a poisoning caused by ingestion of rice oil contaminated with a commercial brand of polychlorinated biphenyls. Environ Health Perspect 1972; 1:119–128. ( 5 ) 吉村健清,油症.岸 玲子,大前和幸,小泉昭夫,古 野純典(編),NEW 予防医学・公衆衛生学.南江堂, 2012, 17–20. ( 6 ) Yoshimura T. Yusho: 43 years later. Kaohsiung J Med Sci 2012;28:S49–S52. ( 7 ) 吉村健清.PCB 汚染油を摂取した母親から生まれた 児についての調査.福岡医誌 1974;65:74–80. ( 8 ) Kuratsune M, Yoshimura H, Hori Y, Okumura M, Masuda Y. (eds). YUSHO A Human Disaster Caused PCBs and Related Compounds. K Kyushu University Press, 1996. ( 9 ) 古江増隆,赤峰昭文,佐藤伸一,山田英之,吉村健清 (編).症研究Ⅱ 治療と研究の最前線.九州大学出版 会,2010. (10) 古江増隆,上ノ木武.油症診断基準(2004 年 9 月 29 日 補遺)の策定の経緯.福岡医誌 2005;96:124–134. (11) カネミ油症患者に関する施策の総合的な推進に関する 法律.法律第八十二号(平成二四・九・五).2012 年 9 月 5 日会報(号外第 193 号) (12) カネミ油症患者に関する施策の推進に関する基本的 な指針.厚生労働省農林水産省告示第二号 2012. (13) 二塚 信,吉村健清.食品汚染による中毒の認定をめ

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ぐる最近の動向―水俣病・カネミ油症.医学のあゆみ 2013;244:941–943. (14) Ikeda M. A Cohort Study on Mortality of Yusho Patients —A Preliminary Report—. Fukuoka Acta Medica 1986;78: 117–120. (15) Onozuka D, Yoshimura T, Kaneko S, Furue M. Mortality after exposure to polychlorinated biphenyls and polychlo-

rinated dibenzofurans: a 40-year follow-up study of Yusho patients. Am J Epidemiol 2008;169:86–95. (16) Yoshimura T, Hashiguchi Y, Kawabata M, Flores OF, Gudiel OO, Mazariegos EC. Prevalence and incidence of onchocerciasis as baseline data for evaluation of vector control in San Vicente Pacaya, Guatemala. Trans R Soc Trop Med Hyg 1982;76:48–53.

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